Blog 足で描く「GUTAI」の画家・白髪一雄
2017.02.10

kazuo-shiraga-silkprints-オレンジの中の円

白髪一雄は足を使って描く”フット・ペインティング”という独自の手法で作品を制作する抽象画家です。日本発の現代アート「具体美術」の中心人物であり、海外からも高い評価を得ています。白髮作品の魅力は躍動感溢れるその表現にあります。

 

ルーツは油絵

白髪一雄は1924年8月12日、兵庫県尼崎市西本町で呉服商を営む両親のもとに生まれました。油絵を描いていた父の影響を受けて油絵を始め、中学では絵画部に所属。そこで絵の楽しさを覚えた白髪は画家になることを決めます。進学を希望した京都市絵画専門学校に得意の洋画科はなく日本画と図案科しかなかったため、日本画科の試験を受け18人の合格枠に入ります。

 

美術学校を受験することに対して親類は猛反対しましたが、絵を描いていた父だけは理解してくれたといいます。日本画科を卒業後は念願だった油絵に転向。大阪市立美術研究所に籍を置き本格的に油絵の制作を始めます。

 

1950年頃から新絵制作派協会の洋画家、伊藤継郎のアトリエに通い、52年に新制作協会の先鋭的な若手作家、村上三郎、金山明、田中敦子らと「0(ゼロ)会」を発足させます。54年の大阪そごう百貨店で開催された0会展に白髪一雄は足で描いた最初の作品《作品II》を出品しました。

 

足で描く(フット・ペインティング)

薄い色を何度も塗り重ねていく日本画の技法より、油絵の具の持つ流動感こそが白髪一雄の求めていた描き方でした。「絵には勢いがなくてはいけない」と感じ、新たな表現を模索し始めた白髪は様々な絵画手法にチャレンジします。手や指を筆変わりに絵の具を伸ばしたり、爪で引っ掻いたりしながら一気に作品を描き上げていきました。

 

その追求はやがて足を使って描くという、他に類を見ない画法を生み出します。床にキャンバス敷き、天井から吊るされたロープにつかまりながら、足につけた絵の具で絵を描いていくのです。白髪は70歳を過ぎてもこの画法にこだわり続けました。

 

初期作品は感情をそのままぶつけたような荒々しいタッチが特徴的です。血のような赤い絵の具が塗りたくられた作品は見る者を圧倒します。その極めつけともいえるのが「猪狩壱」。絵には本物の猪の毛が貼り付けられており、その上に塗られた赤い絵の具が猟奇的なイメージすら喚起させます。その一方、この時期の作品には比較的シンプルなものもみられます。

 

偶然性の高い絵画表現からはイメージが掴みにくい部分がありますが、白髪が愛読する三国志や水滸伝に題材をとった作品からは自身の人間観や興味の在り処を窺い知ることができます。

 

白髪作品は抽象画でありながら表情が多彩です。秩序だった構成がみられるものや、重なり合った絵の具が美しいグラデーションを作っていたり、規則正しい図形が描かれていたりするものがあります。

 

晩年になるにつれて鮮やかな色使いの作品が増え、タイトルも「天女の舞」など幻想的なものに変わっていきます。1本のロープにつかまり、自由な身体表現を用いて描かれた白髪一雄の絵は、抽象画というジャンルを知らない方にも鮮烈な印象を与えます。

 

具体美術協会を代表する作家

「具体」とは日本発の現代アートです。近年、注目を浴びる機会が少なかった具体美術が日本のみならず海外からも評価されるようになってきました。現在ではインスタレーション、ハプニング、パフォーマンスアートなどの戦後の美術運動の先駆けとして重要なものの一つに数えられています。

 

具体美術協会は1954年、前衛画家の吉原治良を中心として結成されました。他人の真似ではなくオリジナルのものを作れという吉原の指示のもと、近代美術との差別化を図り、新たな表現を追求していきました。白髪は吉原に師事していたことから具体に參加し、中心人物として活動していきます。白髪は創立メンバーでこそありませんでしたが、第1回具体美術展に参加以降、1970年に開催の第20回まで出品を続けました。

 

1959年の第8回具体美術展に出品された「ミスター・ステラ」はアメリカの現代美術家フランク・ステラにちなんだ作品です。和紙を貼ったカンヴァスに描かれたこの絵からは発展途中の具体美術の勢いと熱気が感じられます。1950年代後半にはフランスの美術批評家ミシェル・タピエに具体美術が認められ、日本のアンフォルメルの例として海外へ広く紹介され、高い評価を受けるようになりました。

 

世界へ羽ばたくKazuo Shiraga

2014年6月、サザビーズパリのオークションで白髪一雄の「激動する赤(1969年)」が530万ドル(約5億4.590億円)で落札されました。白髪作品としては最高額の落札金額となりました。

 

また、2015年には白髪一雄の抽象画2点がパリのアートフェアで600万ドル(約7億2000万円)で売却されています。長い間浮世絵以外に評価されることが少なかった日本の美術が世界に認められた瞬間でした。

 

1971年に比叡山で得度を受け仏門に入ってからは荒々しさが鳴りを潜め、作品により東洋的な思想がみられるようになります。日本の美術界に新風を吹き込んだ白髪一雄は2008年、83歳でこの世を去りました。

 

> 白髪一雄 略歴

 

2017.2.10 Staff-S